夜散歩と宗教
親からの誘い
実家に帰省してから早2週間になる。
帰省した初日に両親から散歩に誘われた時は驚いた。
親が息子を散歩に誘う目的は癌の告白、もしくは血の繋がりのないことの告白とセオリーで決まっているからだ。
しかも、両親2人とともに散歩に出かけることなど今まで無かったのでこれはただ事ではないと感じた。
重い覚悟とともに日没後家を出発したが、予想に反して秘密の告白は何もなく、両親とただヘラヘラと1時間歩いた後家に帰った。
なんだったんだあれはと思いつつ、その日は「親も息子が帰ってきてはしゃいでんだな、うんうん」と、とりあえず納得した。
初日に散歩に誘われた時も驚いたが、二日目に散歩に誘われた日はもっと驚いた。
"おい、まさかこれ毎日あるんか?"
結論から言うとYesで、帰省してからほぼ毎日親と夜散歩に出かけている。
散歩
話を聞くに、親はコロナ自粛期間中にジムを解約し、その代わりとして始めた散歩を夏になった今もずっと続けているらしい。
"散歩"というワードだけ聞くとpeacefulな感じがするが、その実これは恐ろしい文化として我が家に定着してしまっている。
まず、親は散歩を生活の中心に据えているので、夜散歩に行く時間から逆算した結果、夜ご飯が午後4:30くらいからスタートする。キツい。
また、散歩後は適度な疲れから親は早々に寝るようになった(父親など、9時台に寝ている)。早く寝るということは当然朝も早くなり、意味もなく朝の6時に起きたりしている。
そう、散歩が父と母をおじいちゃん化、おばあちゃん化させてしまったのだ。
上では散歩に付随して起こる良くない変化を挙げたが、もちろん散歩自体にも不満はある。
まずウォーキングではなく散歩と銘打っているだけあって非常にチンタラしている。親は「散歩は運動になるから行こう!な!な!」と毎日誘ってくるが、あのペースじゃ僕にとっては"運動"ではなく"生活"でしかない。僕と親とで年が30以上離れていることを忘れているのだろうか。
親は散歩の途中にお菓子屋さんによって必ず餅を買うので、そのカロリーを考えるとそもそも親にとってもプラスになっていないという説もある。
また、散歩中の会話がたわいもなさすぎる。
あの家、奥野さん家だよ
誰だ。
二軒並んでおんなじ苗字、不思議だな〜
ある話だろ。
この家2週間前まで無かった
もはや、嘘である。
こう言った語りかけが一度だけでなく、その家の前を通るたびになされるので発狂しそうになる。
自分の脳のキャパシティの一部が実家周辺の家情報に使われているという事実も腹立たしい。
断ればいいじゃん
そう考えた読者の方もいるかと思うが、それは考えが浅い。さらに息子力も足りていない。
例えば、散歩が楽で不満だったなら家で筋トレとかすればいいじゃん、という意見もあるだろう。
僕もそう考えて帰省した初めの時期に、散歩を断って家で筋トレをしたことがある。
その筋トレ内容は一人暮らしをしているときに頻繁に行っていたものだったので問題はないはずだったのだが、そんなことはなかった。
散歩のせいで夜ご飯の時間が早まり、筋トレ前に夜ご飯を食べてしまった結果、筋トレ後体調が悪くなりすぎて1時間以上ダウンしてしまった。
散歩が筋トレを封じた、ということである。この家でできる運動の選択肢として僕には散歩以外残されていないようだ。
別に運動にならないんだから普通に断ってもよくね、という意見もあるかもしれない。
それは無理だ。親は毎日ウッキウッキで誘ってくるし、僕も"出来た息子"なのであまり親は悲しませたくない。散歩を断ったとしてその空いた1時間で何か生産性のあることをするわけでもない。何より僕は扶養家族である。無下に断れない。
結局ほとんど毎日散歩についていってしまう。ものすごく調子の良い日とかでない限り、散歩を断ることは至難の技である。
このように我が家で暮らす以上、散歩は回避できないイベントだということが、お分かりいただけただろうか。
この苦しい下積みの日々を将来忘れないようにしようとこの記事を書いている次第である。
宗教
ある日の散歩途中に、最近この地域で急成長してるグループがあるという話を親から聞かされた。
そのグループは、電気屋、美容室、パン屋等々、この地域に様々な業種の店を次々と開いているという。
近くにはそのグループの食堂や寮もあり、従業員が利用しているようだ。
親が怪しんでいるのは、そこの従業員がみな健康そうな若者である点だ。実際、僕も店の従業員を見たことがあるが揃って若くニコニコしていた。
これは宗教だ。ウシジマ君を読んでいるからわかるが、これは宗教である。
しかも従業員の雰囲気から考えるに、多分良くない宗教である。良くないエネルギッシュさを持った宗教である。
地元でこんな宗教が蔓延るのは見逃せない。が、実は散歩途中にその店の様子をチェックするのが楽しみだったりする。怪しい宗教がスパイスとなって、退屈な散歩にいい刺激を与えてくれているのだ。
宗教とは無縁に生きてきたが、人生で初めてその恩恵を受けている。入信しようかな。