naruの日記

いい記事を書きます。あと、日記ではないです。

微マイナスの日の話

プロローグ

皆さん、ボルダリングというスポーツを知っているだろうか。

世情に疎い方のために説明すると、ボルダリングとは岩や人口壁をその身で登るスポーツであり、東京のナウでヤングな若者はもれなくやっていると言われているスポーツだ。

ja.wikipedia.org

基本的には街中に多数存在するジムを訪れ室内で登ることが多いのだが、さらなる刺激を求める人々は自然の岩場でボルダリングを楽しむこともある。

日本にはいくつもボルダリングに適した岩場が存在し、それらは「外岩」と呼ばれている。

この記事は僕が同級生Aに「外岩行こうぜ」と誘われ、さらに後輩2人(後輩Bと後輩C)を含めた4人で2月某日に青梅市の御岳という場所の外岩にボルダリングをしに行った日の記録である。

"はちゃめちゃ"な日であった。

事件1

東京の中心から電車で2時間かけて東京の端のあたり、御岳までやってきた。到着したのは9時過ぎと早めの時間であったが祝日であったこともあり山ガール(もしくはレディー、もしくは・・・)等たくさんの人が御岳を訪れていた。

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予想に反して川辺

御岳は川沿いに人よりも大きな岩がゴロゴロと転がっていて、その中のいくつかの岩がボルダリングスポットとなっているらしい。駅からかなり歩く必要があると思っていたが、駅のすぐ近くだったのも意外であった。

僕たちは駅の近くで安全用のマットをレンタルしてから、岩を登り始めた。同級生A以外の3人は初めての外岩体験だったのでガチガチになっていた(岩だけにね!)が、だんだんと慣れてきて自然の岩の感触を楽しむようになってきていた。

午前は順調にいくつかの岩を登り、昼ご飯も近くの中華料理屋さんでみんなで仲良く食べた。なんと和やか。なんと平和。事件なんて起こりようもない。

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野菜炒め定食。野菜炒めは全部これでええんじゃ

まあ大概こういう時に事件は起こる。

午後、少し場所を変えて駅から15分ほど歩いた場所の岩を登り始めた。午前の場所と違い足元にも大きめの岩がたくさんあり非常にゴツゴツしていた。マットも敷きづらい。

ここで、誰もが予想だにしない大事件が起こる。アガサクリスティもびっくりだろう。東野圭吾もこれを題材にしたがるかもしれない。

なんと・・・・・岩を登っていた後輩Bが岩を掴み損ね、マットのない部分に落ちてしまったのだ!!!!!!!わあ!!!!!




ちょっとふざけた感じで書いたが割とマジの事件で、落ち方が悪く頭を打ってしまい、後輩Bの意識ははっきりしていたものの頭から出血があった。

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やらかくデフォルメしたその時の様子

後輩Bは「全然大丈夫っす。」みたいなことを言っていたが、頭から血が出ているなんて一番大丈夫じゃない状況である。血も一応止まり救急車を呼ぶほどではないと判断したが、速やかにタクシーを呼んで病院に連れていくことにした。僕と同級生Aは病院に付き添い、後輩Cにはレンタルマットを返却してもらうため1人駅に向かってもらうことにした。

楽しい楽しい日が急に最悪な日になってびっくらこいたのを記憶している。*1ただ、事件はこれだけではなかった。

事件2

少し時間は遡る。

昼前くらいから、僕ら4人は川の下流の方でもくもくと煙があがっているのに気付いた。

「いや〜、田舎の方行くとああいう焚き火みたいなの結構あるよな。」

みたいな会話を交わしたことを覚えている。東京の中でありながら、このような田舎らしい光景を見ることができて4人ともホクホクしていた。

その後、中華料理屋でご飯を食べている時に遠くでサイレンの音が聞こえた。

「おいおい、火事か火事か〜?山火事とかだったら困るよな〜」




・・・



火事でした。なんなら山火事でした。

下の記事にある通り、その日青梅市では大規模な火災が起こっておりまさに僕らが目撃した煙が火災の初期の煙だったようだ。

www3.nhk.or.jp

思い返せば中華料理屋に行く前からサイレンは遠くで鳴っており、午後登っている間も鳴り続いていたように思う。

あまりに大規模な火災だったため、後輩とタクシーを待っている時など空から黒い灰が降ってきていた。さながら地獄の祭りである

報道によれば消防車が60台駆けつけていたらしく、後輩が怪我するまでそれに気付かなかった我々は鈍感の極みとしか言いようがない。おそらく戦争が始まっても僕らは1ヶ月くらいは気付かず暮らすのだろう。

後輩Bからしてみれば、頭が割れ、空から灰が降るという考えうる最悪な日となってしまった。しかし実は、悪いことばかりの日というわけでもなかった。

幸運1

先ほど説明した火災は青梅線の沿線で起こったため、青梅線の電車、さらにはその地域のバスまでが完全に止まってしまっていた。

それにより御岳に訪れていた多くの人たちはそこから出る手段を失い、閉じ込められてしまっていたようだ。

ただ、僕らだけはそれを免れた。幸か不幸か後輩Bの怪我により早めにタクシーを呼んでいたためだ。1人駅近くでとどまっていた後輩Cも迎えに行き、全員で青梅から脱出することができた。

(余談であるが僕らが後輩Cを迎えに行った時、彼は昼ご飯を食べた中華料理屋に戻り、餃子とビールで一杯やっていた。後輩Bが怪我したのを見た直後に一杯やる後輩Cは完全にイカれである*2が、これは今日の話に関係ないので詳しくは省略。)

運転手の話によると、道路も麻痺しつつありこの運行を最後にその日はタクシーがほぼなくなるとのことだったので、事前にタクシーを呼んでいなければ本当に青梅から出ることが不可能だった可能性もあった。青海脱出の唯一の方法を知らず知らずのうちに手繰り寄せていたと言えよう。

いやはや幸運幸運。だが、幸運はまだ終わらない。

幸運2

後輩Cを迎えにいき、タクシーに乗り込む直前に品の良いお婆さんに話しかけられた。

「あの、タクシーに乗るのなら私も相乗りさせていただけませんか?」

お婆さんは山火事の影響で御岳から出られなくなり、宿を探そうにも埋まっていて、どうしようかと途方に暮れていたそうだ。僕ら4人はナイスガイであり、奇跡的にタクシーも5人までなら乗れるタイプだったので、僕らは快くOKした。

さあ、タクシーの相乗りで問題になるのは常に料金のことである。人数で言うとこちらが多いため多く払うべきかとも思ったが、相手は年上。「イケるか!?」と考えた僕らはおずおずと折半を申し出た。

それに対してお婆さんが

「ここは払わせてください」

なんと一万円札を手渡してくれたではないか!なんという優しさ。親の愛情を受けていなかったらその場で養子に名乗り出るところであった。

形式的な遠慮のやりとりを幾度か繰り返した後、ありがたく一万円札を受け取ることにした。これでタクシーの支払いの心配はなくなった。

ただ、降車間際になって僕はあることに気づいた。

(あれ、俺らお婆さんより先に降りるんじゃね?)

僕らは総合病院で降りるのに対し、お婆さんはもう少し行った駅で降りることになっていた。つまり、最終的な支払いはお婆さんがする必要がある。

これはマズい!一万円は受け取ってしまったが返さねば、と考えお婆さんにこのことを告げ一万円を返そうとした。

しかしなんと、一万円は返さなくて良いと!さらにはタクシーの支払いも私がクレジットで払いますと!そう言ってくれた。皆さん、神は青梅にいました。

まあ、お婆さんの立場に立ってみれば気持ちはわかる。自分が渡した一万円を返せなどと言ったら格好が付かないと考えたのだろう。

理由はなんにせよ一万円を頂けたのは非常にありがたかった。

結果だけ見ると、僕たちは青梅から無料で脱出しさらには理由のない一万円を手にすることができたわけだ。爆アドである。

エピローグ

病院の緊急外来に到着すると早速後輩Bの診察が始まった。

結局頭を数針縫ったそうで、手や足にも打撲があったそうだ。もらった一万円はほぼ全て治療費に消え、彼の手元には1割も残らなかったように思う。大怪我をして、せめて少しのお金でも手元に残れば・・と思っていたので、僕は非常に残念だった。


帰りに一緒に駅まで歩いている途中に後輩Bがこんなことを言っていた。

「いや〜、今日いろいろありましたけどトータルで考えると微マイナスでしたね〜。」


後輩くん、大幅マイナスです

お大事に!





おわり!

*1:後輩Bくんがもしこの記事を読んだ時のことを考えてこの文章を書きますが、君が怪我したのは完全に僕らの監督不足とサポート不足のせいで全然君に落ち度はないです。本当にごめんね。そして怪我したことでボルダリングが中断されたことに関しても全く責める気はないです。実際僕はカチを見た瞬間にすでにやる気はほぼ0になってました。

*2:後輩Cくんがもしこの記事を読んだ時のことを考えてこの文章を書きますが、これは褒め言葉です。悪しからず。